世界一詳しくわかりやすく! 日本国憲法の制定 後編【政治経済】

 この記事では高校公民科「政治・経済」の内容を説明しています。なおこれまで公開していたノートは作成に時間がかかり、ブログの更新が滞ってしまいますので、後日作成し配信いたします。必要な図はその都度提示したりしますので、ご安心ください。

 

 

日本史が続きます。

 今回は前回に引き続いて日本国憲法を扱っていきます。前回は敗戦までを扱ってきました。今回は日本国憲法について学習していきます。さてそれではやっていきましょう。なお当記事では政治経済の解説であるため、具体的な歴史用語は最小限に抑えております。

 

ところで終戦とは

 

 終戦のくだりの話をしたら、軽く数時間は語り始めるのでとにかくここは事実関係のみを簡単に記載して終わりにします。終戦を8月15日に内外に発表しました。そして9月2日、連合国と書類を交わして、終戦が正式に行われました。

 ここで内閣について確認しておきます。玉音放送からすぐに鈴木内閣は責任をとって総辞職しました。次の内閣は東久邇宮内閣です。物々しい名前でしょう。実はこれ「皇族」による内閣なんです。ちなみに日本憲政史上でこの内閣しか、皇族で首相になった人はいませんでした。

憲法どうしよう?

 

 本当に当時の日本政府はこの難題をどうするか必死に悩んだと思います。というのも明治憲法大日本帝国憲法)を改正する必要があるかないかという問題なんです。こういう話に何故なったのかということを説明していきますね。

 以下にリンクを貼っておきますが、前回扱ったポツダム宣言の内容には概して、新しい政権を作りなさいと言う内容だったんです。ここで日本政府は考えます。「全く違う人たちで政府を作ればいい」と。しかしGHQ明治憲法のままでは新しい政府は作れない、と考えました。

 

憲法改正とは

 

 1945年10月4日東久邇宮内閣で副総理だった近衛文麿大政翼賛会の設立者です)国務大臣に対して憲法改正を示唆しました。しかし翌日東久邇宮内閣は総辞職をしたため、数日後次の幣原喜重郎首相に改めて示唆しました。

 そこで幣原内閣は松本烝治国務大臣をトップとした憲法問題調査委員会が設立されました。日本中の憲法学者の総力で作った内容です。しかしこの内容は明治憲法を加筆修正した程度でした。これが出来ようとした時、新聞にその内容がすっぱ抜かれました。これを読んだマッカーサーはこれではまずいとGHQ内で、案を作り始めました。

 ここでエピソードを一つ。ベアテ・シロタ・ゴードンという女性をご存知でしょうか。憲法24条で定められている「両性の本質的平等」の条文を書いた人です。戦前日本でも暮らしていた彼女は、日本で女性が社会的役割を与えられていない現状に違和感を感じていました。そこで憲法にそれを解決する条文を盛り込むことが重要と考え、提案しました。しかしGHQ内では必要ないという考えが多数派であったためたびたび議論になったようです。それからなんとか条文に盛り込まれました。わざわざ女性について書いた条文はとても価値があると考えられています。

 話を戻しまして、大至急かつ極秘裏に憲法草案が作成されました。急いだ理由として挙げられるのは極東委員会の設置にありました。極東委員会はアメリカ単独の日本の支配から戦勝国の合議による日本の支配に変更することを示唆していたため、GHQにとって都合が悪いことだったんです。

 

松本案と憲法草案

 

 GHQ案はわずか9日間で制作されました。その後日本政府は松本案(憲法問題調査委員会制作)を提出しましたが、GHQはこれを拒否し、新たにGHQ案が手渡されました。その後若干の修正が加えられ、「日本国憲法」が公布・施行されたのです。

 

 今回はここまでです。次回は主に天皇憲法改正について学習していきます。