【政治経済】政治を学ぶとは何かー「尊属殺人重罰規定違憲判決」を読む

 今日はいつもと毛色を変えて、アクティブラーニングをやってみたいと思うのです。今日は日本憲政史上一番有名とも言われる裁判について扱おうと思います。途中で問いを投げかけながら考えてみましょう。

※なお本文中には教育上不適切と考えられる表現もありますが、事件の内容を鑑みて表記している部分もあります。ご了承ください。

第1章 生い立ち

 美咲(仮名)は栃木県のとある都市で父親と生活をしていた。14歳の頃になると父親から行為を迫られるようになるなど性的虐待を受けていた。父娘の間には子供が5人でき、夫婦同然の生活を求められていた。虐待を受け、逃げ出そうとするも暴力により連れ戻されることを繰り返し逃げることも諦めるようになった。加えて自分が逃げ出せば同居している妹の美亜(仮名)にも性的虐待が及ぶのではないかと言う不安からも逃げ出すことを諦めていた。

質問1:この状態であなたは逃げ出せると思いますか? 自分の考えを整理してみましょう。

 学校では様々な理由でここまでは扱えませんが、あえてここでは考えてみることにします。自分ごととして考えることができるかで憲法の学習の視点は変わってきます。


第2章 事件の発生

 美咲も成人になり、職場で好きな人ができ恋人となった。相思相愛の関係となり、(正常な)結婚をすることになった。父親に結婚の許しを貰おうとした。しかし父親は激怒し美咲を自宅に監禁して、行為を強要するようになった。
 昭和43年(1968年)10月5日、父親はもしも家を出る(結婚する)と言うなら、美咲とその子供を殺すと叫びながら美咲に襲いかかった。精神的に限界を迎えていた美咲は、人並みの幸せを得るためには父親を殺すほかないとし、とっさにあった紐で絞め殺した。
 我に返った美咲は警察に自首した。

質問2:あなたは美咲さんの刑罰はどうなると考えますか? 以下の条文をもとに考えてみましょう。

 参考に、現在の刑法の条文について掲載します。

刑法第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

 これをもとに刑罰を考えてみましょう。ただし情状酌量(犯罪に至った経緯について同情し刑罰を軽くすること)も含んで良いものとします。調べてみましたが、初犯ではあくまで傾向として懲役10年以上になることが多いようです。

第3章 弁護

 事件2日後、地元の新聞の見出しには「娘が父親を絞め殺す」とつけられ事件の概要が報道された。この時点ではまだおぞましい事実は世間には知られていなかった。事件から数日後美咲の母親がとある弁護士事務所に弁護の依頼に訪れた。その事務所で依頼を受けたのが大貫大八弁護士である。大貫大八弁護士は今までの経緯を聞くなり涙を流したという。この事件がただの刑事事件ではなかった。当時あった「尊属殺人重罰規定」により起訴されたからである。

刑法第200条 自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス。
(注:尊属とは父母と同列かそれよりも目上の血族を指す。つまりこの場合は父親を殺害しているためこの規定が採用されることになる。)

 ※1995年改正以前の内容

つまり美咲は情状酌量などによる減刑がない場合、無期懲役または死刑しか道は残されていなかった。加えて刑法の規定により、減刑がなされても執行猶予がつかない状況となっていた。またこれらの限界により執行猶予つき判決にならないのは明らかだった。
 大貫弁護士はこの依頼を受けることにした。この時の心情について大貫弁護士の息子である、大貫正一氏は次のように語っている。

「オヤジも私もこらあえらい事件だと思った。これが実刑になったら大変だ。だって、可哀想じゃないか……実刑を逃れるには、200条を憲法違反にして無効にするしかない、と。合憲判決は高く厚く積み上がってましたからね、大きな挑戦でした」
日経ビジネス 「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決より引用

 こうして長い闘いは幕を開けたのである。

質問3:あなたは尊属殺人重罰規定は憲法違反だと考えますか。

 この記事で一番考えてほしい質問です。理由も考えてみましょう。参考までに当時常識とされていた、尊属殺人重罰規定の考え方です。「人類普遍の道徳原理、すなわち自然法」に基づくから、憲法第14条に違反しない。つまり尊属殺人は合理的な区別であり、差別ではないとされていました。

第4章 判決

 一審の判決では美咲側の主張が認められ、無罪・刑法200条は違憲とされた。しかし、二審の判決では合憲判決が下され、実刑となった。舞台は最高裁判所の大法廷へと移される。最高裁では大貫正一弁護士が次のような演説を行った。

 被害者(=美咲)は十四歳になったばかりの純真な被告人を、しかも実子である被告人を暴力で犯したばかりか、爾来十五年も夫婦同様の生活を強いて被告人の人生をじゅうりんする野獣に等しい行為に及んでいるのであります。被告人と被害者の間に出生した子からみれば被害者は父であり被告人は母であって、両者は同列の直系尊属であります。又被害者の感情の中には、被告人に対して既に子としての愛情は片りんもなく、妻妾としての情感のみであったのであります。

 特に被告人が恋人との結婚の許しを乞うてから以降の被害者の行動の中には、子に対する父親らしい愛情はみじんも見い出すことができず、唯嫉妬に狂乱する夫のというより男の姿のみしか認められないのであります。ここに至っては被害者は父親としての倫理的地位から自らすべり落ち、畜生道に陥った荒れ狂う夫のそして男の行動原理に翻弄されているのであります。

 刑法二○○条の合憲論の基本的理由になっている『人倫の大本・人類普遍の道徳原理』に違反したのは一体誰でありましょうか。本件においては被告人は犠牲者であり、被害者こそその道徳原理をふみにじっていることは一点の疑いもないのであります。本件被害者の如き父親をも刑法二○○条は尊属として保護しているのでありましょうか。かかる畜生道にも等しい父であっても、その子は子として服従を強いられるのが人類普遍の道徳原理なのでありましょうか。本件被告人の犯行に対し、刑法二○○条が適用されかつ右規定が憲法十四条に違反しないものであるとすれば、憲法とは何んと無力なものでありましょうか
日経ビジネス 「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決より引用

(仮名の部分を本文と合うよう変更した)

 

 1973年4月最高裁判例を変更し(元々合憲であるという判例があった)、執行猶予つき判決が下された。事件から4年半の月日が流れていた。大貫親子への報酬はリュックサック1杯のじゃがいもであった。そして数年年賀状のやりとりをしたのち、大貫正一氏は「私ごと忘れてしまいなさい」と言って音信は途絶えた。これが日本憲政史に輝く裁判である。

 

質問:美咲さんを守ったものは何だったのでしょうか。

 最後の質問です。じっくり考えてみましょう。ここで想定される回答を2つ挙げておきましょう。まず「憲法が救った」という説です。普通の授業の終わり方ならこれで締めるでしょう。しかしもう一つの説があるのです。「大貫弁護士が救った」という説です。まず先ほどのストーリーの中でも紹介しましたが、教科書には掲載されていないある物語があるんです。
 実はこの尊属殺人重罰規定はこの事件の以前から何回も使用されてきたんです。そんな中、憲法が改正されて20年以上経っていたのに誰も指摘してこなかった。いやそんな生ぬるい話ではなく、元々合憲であるとされていたんです。そのような風潮の中救った、という説が大貫弁護士だったのです。

 今までこのような話をしてきましたが、今回日本の政治に入る前で扱った理由は「法令は不完全である」ということを象徴している事件だからです。それを補うために現在進行形で法令は改正し続けています。加えてもう一つ。どのような判例にもその後ろには多くの人がいて、そのいずれも人生が懸かっていると言っても過言ではない状態であることが多いということなのです。それの積み重ねが現代社会を形成しているということを、解説の前に知っておいて欲しいからです。これを知っているだけで解説がもっとわかりやすく、理解しやすくなるので今回取り上げさせていただきました。興味のある人はもっと調べてみてください。新たな発見が待っているはずです。

参考資料
「父殺しの女性」を救った日本初の法令違憲判決 憲法第14条と「尊属殺人https://business.nikkei.com/atcl/report/15/120100058/120200001/
お正月読み物シリーズ「知っておいて損はない著名判例:日本の裁判史上で初めての違憲判決」-弁護士が紹介 https://news.yahoo.co.jp/byline/fukunagakatsuya/20170102-00066152#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%97%E3%81%A6%E3%80%81%E7%B5%90%E8%AB%96%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%80%81%E5%B0%8A%E5%B1%9E,4%E6%97%A5%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%B1%BA%EF%BC%89%E3%80%82
尊属殺重罰規定違憲判決 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8A%E5%B1%9E%E6%AE%BA%E9%87%8D%E7%BD%B0%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E9%81%95%E6%86%B2%E5%88%A4%E6%B1%BA
裁判所 裁判例検索 https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search1