世界一詳しくわかりやすく!【政治経済】大日本帝国憲法

 この記事では高校公民科「政治・経済」の内容を説明しています。なおこれまで公開していたノートは作成に時間がかかり、ブログの更新が滞ってしまいますので、後日作成し配信いたします。必要な図はその都度提示したりしますので、ご安心ください。

 

憲法の歴史

 今回からは日本の憲法について学習していきましょう。すぐに現代と結びつきますから非常に理解しやすくなると思います。はじめ2・3回のみ理解しにくいかもしれませんが、それを越せば現代社会そのものを学習していきますからそこまでの辛抱です。

大日本帝国憲法

 大日本帝国憲法は日本初の憲法になります。なお以下この記事では説明が冗長になってしまいますから、略称名として「明治憲法」を使用します。明治憲法が作られた理由としてまず、不平等条約の改正を行うため、ということが挙げられます。少しだけ脱線して日本史の話をしますが、不平等条約が作られた理由として、ちゃんとしていない国だからというのがありました(ちゃんとしていないというのもその当時でも欧米諸国では立憲主義が浸透していたからです)。じゃあちゃんとした国づくりをしていこうぜ、ということで憲法を作ろうとなった訳です。ちなみにこのとき私擬憲法といって、憲法の案が民間人の間で書かれました。有名どころは植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」です。
 さあ話が長くなりました。こんなことで憲法は作られた訳ですが、その中にはどのような特徴があったのでしょうか。次の項ではそちらについて詳しく見ていきます。

主権と「大権」?

 まず天皇周りの内容から確認していきましょう。政治経済の最初にやった「主権」が誰にあるのかという話からですね。これは「天皇」です。全ての権力は天皇に由来する訳ですね。天皇になぜ由来するのか、それは強い国づくりを急ピッチでしていくには、国民の意見を聴いている時間はない! という考えからです。開発独裁と似ていますね。
 次に「大権」という話に移りましょう。「大権」ってナンジャラホイ、でしょうね。これは天皇には絶対的な権限があるべきだ、というものです。そりゃあ主権が天皇にあるならそういう考えになってもおかしくないはずです。そんなこんなで「大権」というものがありました。
 主要な大権について確認しておきます。国務大権です。立法・行政・司法の3つの権力全てを握っています。次に統帥大権が軍隊の最高指揮権、皇室大権が皇室の代表者という意味です。これらによって天皇には非常に大きな権限が与えられてきました。

初期議会

 議会が開始しましたが、制限選挙がしばらく続くことになります。天皇や元老(いわゆる部活でいう顧問のような存在)の意向に従って政治は進行していきます。

初期議会のその後

 初期議会がこのような状態で開始したのに対して、20世紀に入ると政党政治に一時的に移行しました。これを大正時代に開始したので「大正デモクラシー」と呼びます。大正デモクラシーはどのよな動き方だったのでしょうか。
 大正デモクラシーの定義は「大正時代の民主主義的思想の潮流の高まり・運動」と定義されます。これの理論的学説が吉野作造民本主義とされます。民本主義は主権が誰にあるのか問題にしないけれども、国家は国民を幸せにするべきとするものです。欧米の社会契約説を半分取り入れたような内容ですね。日本の大正時代においては非常に先進的なものだったのでしょう。
 このような思想の中で政党政治などの民主主義的政治が続いていきました。しかし1925年の治安維持法施行により、思想の弾圧が始まり日本は戦争に突入していくのです。

天皇機関説

 大正デモクラシーを支えた思想のもう一つに天皇機関説というものがあります。天皇機関説美濃部達吉によって提唱されました。美濃部達吉明治憲法下において天皇は総攬者(全ての権力を一手に持つ人)ではなく「機関」であるとしました。つまり統治権天皇ではなく国家そのものにあるとしました。現在のイギリス政治に似ていますね。

 今日は戦前の日本の政治体制について学習してきました。次回は日本国憲法制定の動きを学習していきます。